2011年7月29日金曜日
サイコロ計算道場と焚火キャンプ
一つ目は先週の火曜日。
国分寺市教育委員会の主催で、「サイコロ計算道場」を行いました。
これは国分寺のNPO「自然育児友の会」の皆さんと共同で開催したものです。
参加した教師は、私・未田と毎田先生、山上先生の三人。
参加予定者の人数を、5~10人程度と事前に聞いていたため、この教師の数でも、ちょっと多すぎるかと最初は思っておりました。
ところが会場についてびっくり。
なんと名簿に記された児童の人数だけでも35人!
書きもらしもあったようなので、実際にはもっと多くの児童が参加してくれたようです。
予想外の盛況ぶりに、教師たちは大わらわ。
小学校低学年から中学年の子供たちの熱気に押されっぱなしの二時間になりました。
特に低学年の女の子たちの熱気がすごかった。
誰が早く一番サイコロ計算を行えるかを、対戦形式で行ったところ、各グループのトップの多くが女子。最後に女子だけで対戦させてみれば、ケンカになるんじゃないかと思うほどの熱気をもって計算対決を行っておりました。
ともあれ、盛り上がって実によかった。
次回は8月30日。国分寺市ひかりプラザで行われますので、興味のある方は是非。
さて、二つ目のイベントは今週行われた、V-net恒例の焚火キャンプです。
今回は月曜、火曜と泊りがけで行われました。
場所は奥多摩町の百軒茶屋キャンプ場。
大丹波川の清流が流れるなかでの焚火は格別でした。
こちらでは中学生男子の勢いがすごかった。
川遊びでは服のままで泳ぎ出し、山登りでは我々教師を置いてどんどん頂上を目指します。
私も彼らにつられ、久しぶりに童心にかえって遊んでしまいました。
夜は流木を集めてきて、念願の暗闇の中での焚火。
滝の流れる音を聞きながらの焚火は最高でした。
こちらの次回の予定は未だ決定しておりませんが、勉強その他のことに疲れた学生諸子には、学年を問わず参加をお薦めします。
未田
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2011年7月24日日曜日
リベラルアーツー太陽信仰
これまで、マホメットの思想における、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教の影響を見てきたが、今回はその総集として、「では、現在世界各地で起こる宗教的な対立を解決するにはどうしたら良いと思うか」という問いかけをして見た。
すると、学校の成績はまだまだだが、最近実はこの子は極めてアタマが良いのではないかと思えてきたM君が、「全てを統合する新たな宗教が生まれるか、誰もが宗教を信じなくなるかのどちらか」とスパッと答えた。
そこで、誰もが共通の関心を持つはずである地球環境保全についての京都議定書が米国によって蹴られたことで、イスラムとの共通の話題のテーブルにつく議論が反古にされて、その後テロの時代が来たことを述べ、さらにこのことについて生徒たちの意見を聞いていくと、「自然の背後に八百万の神を意識する神道はなかなか良いのではないか」とO君。
ではその神道の中心的神が何かというと、天照大神であり、これは大陸から渡ってきた新支配勢力が、おそらく天武天皇を中心にして、皇室がこの天照大神の子孫であることを『古事記』にまとめて権威付け、先住民支配を完成したものであるが、その源は明らかに先住民の太陽信仰であると述べると、エジプトのラーもインカのインティも太陽信仰がその基であることから、太陽信仰を新たな宗教とする可能性があるという議論になった。
ここで、地球とはいったいどこまでのことを言うのかという問いに対し、全員が「大気圏まで」と答えた。すると太陽はどこまでかというと、「太陽のエネルギーの影響が及ぶ太陽系まで」ということになり、私たちが太陽の中に住んでいるとも考えられることになった。私たちが住む地球が地球上の全ての生命は、全て太陽のエネルギーを基に生存活動しており、太陽を信仰することは極めて正着であるということになった。そして、これまで学んだ宗教が起こる以前の古代宗教は、そのほとんどが太陽信仰であることも確認された。
この後、ウパニシャッドを読んだが、ここでも太陽を崇めることの重要性が説かれていた。さらに、ウパニシャッドにおける死後の世界は月の世界であることも読んだ。最後に、ヤージュニャヴァルクヤ一仙の、他に対する愛情とは、実は自分に対する愛情によるものだと言う話を読んで終了した。
自分でいうのは何だが、私はこの授業を自分の若い時に受けたかった。あらかじめこれらのことについての考察があったら、どんなにか多くのことが分りやすくなっていたか想像できないほどである。連続的に参加する諸君が確実に発言力を高めていることを実感し、あらためてこの試みの正しさを確認できた。
次回は8月13日。古代宗教への関心が高まったので、テキストは『ギリシア神話』(岩波ジュニア新書)、『ギリシア神話』(岩波文庫)の二点とすることになった。新規参加者も歓迎する。
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2011年7月17日日曜日
小6のM君は大がつく奥手。あどけない顔が可愛らしい。
小5の春から隔週で音読と国語記述の指導を行ってきた。
例によって私の授業は、親御さんが一緒に受けているが、M君の場合はご両親が参加、3人が別々に一生懸命問題を解いて来る。
小学生の授業を親もともに受けるというスタイルは他では見られないやり方であろうが、親にとっては子どものどういうところが足りないかを直接見知り、またその解決方法を教師からこれまた直接聞くのであるから、効果は大きい。また、子どもにとっても、難しい私立中学の国語記述を、親も苦労したり間違ったりするのが分って、それを楽しんだり安心したりするので良い。
このやり方で半年以上授業を行うと、どの子もまずできるようになる。以前から繰り返し書いているが、国語記述は指導者と一対一で向き合ってやらないとまずできるようにはならない。ダイアローグのやり方、抽象構成の仕方は、たとえ添削してもらっても直接解説を受けなければまず納得できない。結果的に、親が子どもに直接教えることができるケースにのみ国語ができるようになることが明らかになってしまう。それをさらに効果的にするのが、親も一緒に授業を受けることである。
あまりに奥手でどうなることやらと心配していたM君は、6年になったころから国語の成績が安定し始め、通っている進学塾でのクラスも上がっているそうだ。しかし、この夏は朝から晩まで塾に通うことはせずに、できるだけ自分で勉強して夜だけ通うことにしたそうだ。まだあどけなさが残るM君が、一日中塾に行けばやがて疲れて成績が伸び悩むとご両親が判断したためである。もちろん私のアドバイスでもあるが。
*画像はインゲン
公式ブログ『V-net職員会議中』もやってます。http://s.ameblo.jp/v-net-blogroomV-net教育相談事務所http://www.vnet-consul.com2011年7月15日金曜日
国語記述ー山椒魚
水曜日の国語記述コースは、ただ一人の女の子がお休みなので男子ばかりになった。音読を進めるわけにはいかないので、どうしようかと尋ねたところ、またしても歌仙をやろうと言う。小6のT君が、最近お父さんのビールのおつまみの柿の種に凝っていると口にしたのを受けて、小5のS君の「カキのタネ カニが播いても サルが喰う」を発句にこれを行った。五七五はできてもどうも七七をつけるのが難しいらしい。
この後、今度は小5のT君のお勧めで百人一首音読を行った。日本の和歌はカタカムナ読みをするとそのままダイレクトに意味が読み取れる。一つ読んでは、各人にABCで点をつけてもらう。天智天皇の「秋の田の‥…」は全員がB、山部赤人の「田子の浦に‥…」は全員がA、S君は他のものがBでも、恋に関する歌ではAばかりつけるのが面白かった。
次は、夏で暑いので、涼しい物を読もうと、井伏鱒二『山椒魚』。順番に少し音読してもらっては私が口頭で質問し答えを記述させる。「学校では本文中から抜いてくれば良いのに、先生の問題は自分で考えて書かなければならない物ばかり」と言うが、皆とにかく何らかの答えを熱心に書き、たまにそれがあっているとガッツポーズ。私が正解答を書いて示すと、「う〜んなるほど」と唸ってこれを言われなくとも紙に写す。「最後の部分を作家が死ぬ前に削った」と伝えると、「えっどうしてだろう?」と顔を見合わす。私としては、この作品の部分に不完全な文があることにも気づく。若いときの作品が有名になったのだなと感じる。ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏が、「自分以前では井伏鱒二さんが受賞するべき作家だった」と言っていたことと、弟子で心中自殺した太宰治氏が死ぬ直前に「井伏氏は悪人」と書き残していることを伝えると、これにも微妙な反応が広がった。私は文学の世界を上辺だけでなく重層的に覗き込むことには子どもたちにとっても意味があると感じる。
それにしても3時間は長い。途中適宜に休みながら、最後に桐朋中過去問の大山椒魚が逃げる話を音読して、「次回これをやるので、ヒマがあれば問題をやってみて」と言い渡して終了した。
今日は途中で混乱もなく、その都度よく集中して最後までやることができた。授業になってきた手応えが大きい。
この授業は、私の少人数授業のあり方への実験と考察のためにも行われている。
集中が切れたらすぐ休むことが分っていると、子どもたちはかえって良く集中しようとする。何をやるかをその場で相談して決めると、積極的に取り組むことが多い。また遊びの要素で自分の気持ちを表現できるように設定してやると、思いのほか楽しく取り組む。また、取り組んでいる事柄に関して、さらに別の知識を説明しても良く聞いてくれる。たとえば、持統天皇の「春過ぎて••‥」の歌の時に奈良盆地と平城京藤原京の位置関係や天香具山の位置とか、田子の浦の場所とか、良く聞いてくれる。どれも当たり前と言っては当たり前であるが、子どもたちを惹き付ける指導法はまだまだ研究の余地があるようだ。
*写真はハバネラ
公式ブログ『V-net職員会議中』もやってます。http://s.ameblo.jp/v-net-blogroomV-net教育相談事務所http://www.vnet-consul.com2011年7月12日火曜日
「考える」力
最初の生徒は、今年中学三年生、もうすぐ高校受験なのに、いまいち「目覚め」の遅いA君。
真面目に「ベンキョー」するのは「カッタルイ」というポーズをなかなか崩さないA君ですが、国語教科に関してはけっこう優秀。
昨日も他の生徒が読解に苦しむ国語現代文の難問を、スラスラと解いておりました。
模試などの結果も、悪くないようです。
そろそろ自分の能力を主体的に発揮する、「目覚め」が彼にも訪れてほしいものです。
二人目の生徒は、私立中学受験生のM君。
大手進学塾にも通っているM君は、少々お疲れのご様子。
塾で出される膨大な量の宿題に苦しんでいるようです。
勉強を単に「やらされている」という感覚を強く埋め込む、こうした塾の方針に私は大いに批判的です。主体的に「考える」習慣を子供から奪ってしまうような「ベンキョー」の教え方は、その子供の将来の思考力を奪うのみならず、受験勉強という狭い範囲で考えても必ずしもプラスではありません。特に柔軟な思考力が要求される国語教科では、そうです。
そこで昨日は、問題数は寡量でも、一つ一つの設問を丁寧に、徹底的に「考え」て答えを導き出す指導をM君には行いました。
一問に約30分くらいかけることもありましたが、そうやって考え抜かれて書かれた彼の記述解答は模範解答レベルのものでした。
こうした丁寧な思考の積み重ねがあってはじめて、国語能力の増強は図られるものと思います。
さて三人目の生徒は、再び高校受験生。
抽象語の多用された文章の読解に苦しんでいるH君です。
昨日はまず、ヘーゲルの原文を使った論説問題の文章を、一段ずつ丁寧に読解していく作業をおこないました。
最初の一段落目から意味の了解に苦しむH君。ヘーゲル自身の文章なのですから、当然と言えば当然です。
しかし元来、思考力において優秀なH君は、文章の後半になると、だんだんと私の解説に頼らずとも、自力で抽象語の意味を特定していきました。
もう少し練習が必要でしょうが、彼が難解な抽象文の読解を「得意」なものとする日も、それほど遠くはなさそうです。
以上の三人の授業を行ったわけですが、私自身も彼らの思考につきあって必死に「考え」た結果、ヘトヘトになりました。
いよいよ夏真っ盛り、という気候になってきましたが、暑さに負けず、「勉強」の中で一緒に「考える」習慣を身につけていこうね、A君、M君、H君!
by未田武史
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2011年7月10日日曜日
リベラルアーツ
9日のリベラルアーツでは、『コーラン(上)』の解説部分を読んだ。そこにはコーランの翻訳不能な音声要素についての記述があり、それは当時西アジアに存在した巫女的呪術性があることが示されていた。
すでに我々は、コーランがユダヤ教、キリスト教を踏まえたものであることは確認してきた。では、その呪術的文体はどこから来たのだろうか。
そこで、岩波文庫の解説ではどこか足りないと思ったので、7世紀にイスラム教が起こると急速に衰退したゾロアスター教の『アヴェスター』を読んでみた。ゾロアスター教は3500年の歴史がある宗教であり、その成立はモーセ以前であり、ペルシア帝国の宗教であった。宇宙創造の絶対神であるアフラー•マズダを中心に、善悪の対立と克服を教えるこの宗教は「拝火教」としての呪術的な側面も大きかった。『アヴェスター』は、アフラー•マズダを讃え、やがてゾロアスターにそれが乗り移る形を取る。これは言うまでもなく、アッラーとマホメットとの関係と相似である。
こうして見ると、イスラム教は、西アジアにおける先行する古代宗教の要素を統合してできたものであることが分る。このことからも、マホメットが文盲であったとはまず考えられないことである。
さて、メソポタミアを中心とした西アジア地域は、繰り返し戦乱状態にあった地域である。そして、絶えず水不足に苦しんだ地域である。ほとんどが砂漠かスッテプ地帯であり、木が生えているところは極めて少ない。これは、日本と全く逆の状態である。日本国内に外国の軍が上陸侵入したのは、第二次世界大戦の米軍が初めてであり、しかも沖縄以外はほとんど戦闘らしきものが行われた形跡はない。しかも日本は、水が豊富でそこら中に森林がある環境である。世界でもまれに見る平和で安全でしかも水に恵まれた国、しかも気候的に温暖で200年以上も鎖国しても全く問題がなかった国である。この西アジアとは似ても似つかない歴史的環境的土壌の日本には、一神教は存在しなかった。アマゾン原住民同様、自然の背後に多くの精霊(八百万の神)が存在すると言う宗教観であった。
この上で、2003年の東京大学の国語入試問題を読んだ。これは、日本人が祟りの思想の文化下にあることを示し、戦没者の遺骨収集が今も続くことを解説した文章である。そもそも平和で自然に恵まれた国なので、地域や国のために命を落としたものに対して、生き残って幸福に暮らす者たちに「負い目」、そして祟りを怖れる思想があることを示したものである。
私は驚いた。これまでリベラルアーツに出席し続けた者は、このぐらいの文章なら平気で読解できてしまうのである(生徒は中1〜高2)。このことから逆に、私は我が国の公教育における国語教育の欠陥が透けて見えたような気もした。本当の国語力をつけるには、大人の思想の基となった書物を読み、それについて議論することが欠かせないのだ。一部の私立校でのみ可能なこの教育法を公教育が行うことは不可能に近いことなのかもしれないが、つまらない教科書の読解練習よりも、我が国古典文のしっかりとした音読を行い、作文法を教え、その上で世界の宗教書のダイジェスト版を読ませて議論させることは多くの学校が取り入れても良いことだと思わざるを得ない。
次回リベラルアーツは『コーラン(下)』を用いるので、よろしく準備して参加して欲しい。
*写真はトウガラシ
公式ブログ『V-net職員会議中』もやってます。http://s.ameblo.jp/v-net-blogroomV-net教育相談事務所http://www.vnet-consul.com2011年7月8日金曜日
生徒たちとの対話
国語記述コースでの生徒たちとの会話。
「たとえば音読で、前にやったことがあることを少し時間が経ってからやると、前と変わらずできる生徒とボロボロな生徒がいるがこれはどうしてかと思うか?」
—それは一発で体得する能力がないからです。
「では、一発で体得できない生徒はどうすれば良いのか?」
—ある時ヒマな時にまるで歌を歌うように口ずさむと良いと思います。
「つまり、一発で体得できない時には、何らかの復習が必要ということかな。でも、どうしたら個々の人がその方法を思いつくことができるのか?」
—ぼくは、一発で体得できるようにすることと、どうすれば体得できるのかを考えることの両方をするのが正解だと思う。
—ぼくは一発で体得する能力も、またどうしたらそれを解決できるかも思いつかない。
「自転車は一度乗れるようになるとどうしていつまでもそれを忘れないのであろうか?」
言わんとすることがどれぐらい伝わっただろうか。
この後音読の復習を行い、森鴎外『舞姫』を解説音読した。
*写真は、鳥に食べられないように糸を張って三度目にして発芽生長したエダマメ。
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サイコロ計算
それは、赤×緑×黄と黒×白の差を求める計算です。
この計算は小学五年生以上に出題しますが、多くの生徒が苦戦します。
例えば、上の写真の計算。
黒×白は14×14を覚えていれば簡単です。でももっと簡単な方法があります。それは、分配法則を使うやり方です。
この場合、14で「くくって」、13-4×3を先に計算すると、結局14×13-7×8×3=14とすぐに分かります。
分配法則は、小学校で習いますが、実際よく使うのは、中三の因数分解を習うころでしょうか。
今の中三とサイコロ計算してみても、分配法則がよく分かっていない生徒は、因数分解の単元もよくわかっていませんでした。
現在サイコロ道場は小学生に行っていますが、必要とあらば、中学生にも行うべきかもしれませんね。
2011年7月3日日曜日
世間欲を持たない人々
最近子どもを順調に育てる秘訣はこれではないかと思ってしまう。
これは常々私の主張する「主体性」とも関わることなので以下やや述べさせていただく。
N君は、やや早熟な小6サッカー少年。今時の子どもには滅多に見られない日焼けした精悍な顔つき。三人兄弟の長男。
この子は、一度習ったことをそれ以下にすることがない。これはきちんと復習している証拠である。
中学受験をするつもりはないそうであるが、このタイプは国語記述力も着実に身に付けていくことが予想される。
この上で算数基礎力を付けて、算国で受験するのが望ましいが、受験校が限られる。そして、親は公立進学でもかまわないという認識。
実はこういう子どもの生い先が大きいのである。良き父親となって多くの世代交代を実現することも可能であろう。
つまり、この子は私立に行っても公立に行っても順調に成長する可能性が高いのである。
どうしてであろうか。
この子の母親は、子どもの純粋な成長を望むのみで、世間欲を持たない。
つまり、進学塾に騙されない。
この母親は、息子を世間と比較することをしない。主体的である。その子なりの成長を考える。
これと同様の母親が、中3生のH君の母親である。
H君は、早生まれのからっきし「奥手」。
母親は無理を要求せず、私のもとでの基礎学力の充実を心がけた。
音読、作文、国語記述、暗算。
彼は中学校に上がってメキメキ成績を上げてきた。こういっては失礼だが、もし私立中学受験を選んで子どもらしい生活が奪われていれば決してこのような成長には結びつかなかった。
母親は世間欲より子どもの自然な成長に賭けたのである。
目先のちょっとした利益追求を繰り返すことと、それなりの最大限の「収穫」を手にすることは全く違うことであるが、日頃よく植物を育てる私にはそれはしごく当然のことと思われる。
*写真はやっと出たオクラ。
公式ブログ『V-net職員会議中』もやってます。http://s.ameblo.jp/v-net-blogroomV-net教育相談事務所http://www.vnet-consul.com2011年7月2日土曜日
意識的復習

学んだことをよく定着させるには意識的な復習が欠かせない。
意識的な復習には、自分の何が至らないのかという自覚とそれを解決しようとする意志が必要である。
たとえば夕方の晩餐前の自宅前縄跳び練習ならできる子もいるが、これは14歳前の子どもたちには非常に難しい。
子どもに何かを修得させたければ、子どもに楽しく学習させることでこれを活性化してしかも印象に残るように工夫しなければならない。教え手自ら良い見本を見せることで自分の至らなさをリアルに認識させ、そのときだいたいできるようになったことを、家で復習して確実化するように仕向けることができなければならない。
これは、多くの指導者にとって非常に難しいことである。
だから、このことの一般的解決のために、テストなどを用いてプレッシャーをかけ続けるかできるまで長時間拘束するということになる。
これまでも重ねて主張してきたことだが、学問は自ら主体的に取り組むものがより良くできるようになるのであり、他からの強制によって学力を付けても人の役に立たないことが多いと言っても良いだろう。
学問の目的とは主体的になる習慣を身につけることと言っても良い。
そして、真の主体性のためには、他の存在の主体性を尊重することが欠かせない。
他のためにもなっていることが欠かせない。
自らの脳の状態に好奇心を持ち、そしてそれを向上させる方法を主体的に見つけ出して実践する。
そうした習慣をつけることが教育の目的である。
*写真はピーマン兄弟
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