8月最後の授業で、生徒たちに、「以前から言っていた通り、音読も明治まで終了したことだし、二学期からは、個人指導に戻るためにこの授業を解散したいと思う」と言うと、「この授業はオモロいから止めるな」と猛反対されてしまった。教師としてはこの授業で力がつかないこともないので続けてもかまわないが、国語個人指導専門の私としては万全の学力をつけるために一対一で指導した方が良いと判断したのだ。しかし、どうやら私の集団授業も評価されて良かったと思うべきようである。
私の国語記述個人指導を受けたものは、たいていがその通う進学塾で成績がトップクラスになってしまう。私からすればまだまだ全然未熟に思われるのだが、世間の国語記述能力の一般水準があまりに低いので、相対的に成績が上位になってしまうのである。
約半年で塾のクラスで2位の成績になった生徒の話を聞くと、1クラス13名で授業が行われているそうであるが、これではまず力がつかない。なぜかというと、この人数では、生徒一人一人の解答を検討し、それがどう違うのかを熟考させて、正解答に導く物理的時間的余裕がないからである。実際生徒の答案を見ると、あっている場合でも×(不正解)になったり、不十分である場合でも◯(正解)になったりしている。しかし、これは致し方のないことである。私でも現在の4、5名相手の授業でやっとこさなのであるから、10名を超える生徒をまとめて面倒見なければならない塾の教師たちにはまともな指導はできないことだろう。おまけにほとんどの生徒は記述解答ができないから、ちょっとでもまともに書くと面倒くさいから◯にしてしまうのであろう。またできない生徒はどうすれば正解答案を導き出せるのか解説してもらえない。復習としての宿題は、先生の書いた正解答(これも不充分なものであることが多い)を暗記して来ることで、毎回そのテストがあると言うから、無意味なことこの上ない。でも、多人数を面倒見ろと言われれば、そうするしか仕方がないかもしれない。結局、塾の集団授業では、できる者は不完全な解答で良しとされ、できない者は答えの暗記を強いられるのであるから、全く力が伸びないことになる。つまり、通うことに意味がないことになるのである。でも、親たちも入試国語記述を教えられないレベルであることがほとんどであるから、塾の指導のどこがまずくてどこを補充すれば良いのかわからない場合が多い。結果的に、親に記述力があって、しかも時間に余裕がある子だけが充分な国語記述能力をつけることができるようになることになる。つまり、塾の力で国語記述ができるようになるのではないのである。
しっかりした国語記述能力がつく者は、普通子どもたち全体の1%未満であるので、そうではない者たちは、算数社会理科を猛勉強して一流校に受かろうとする。一流校の中でもトップクラスの学校は、国語の他に社会や理科も文章記述解答が主体なので、単に相対的な偏差値が高いだけの子どもには、合格が難しい。このようなタイプの子どもたちは、慶應や海城などの選択肢の多い学校や、芝など抜き出し問題が多い学校を受験する方が無難であろう。
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