2011年8月23日火曜日

中学入試国語記述


22日、中学入試国語記述コースを行った。7月の休講、8月の盆休みなどで授業回数が少なかったので今週来週と月水連続して行う。

音読はついに最後の『ソクラテスの弁明』が終了し、おまけで『学問のすゝめ』も読んだ。

続いて22年の麻布中入試問題を用いて演習を行った。これは、牧場を脱走して自分が木に登れることを発見した牛が、その秘密が森の仲間にバレて英雄扱いされて戸惑うという話である。本文はいわば童話なので子どもにも読みやすいが、設問は相変わらずシャープで深みがあり、解答は容易くない。これをまあ普通の生徒たちが解くのであるから大変である。

たとえば、牧場脱走の場面で、牛は自分が「逃げた」のではなく「単に柵を破っただけ」ととらえているが、この違いを説明せよとの出題。

「逃げた」→嫌になったから

「柵を破った」→自分の意志で

ということになるが、「逃げるのだって意志ではないか」という反論が成り立つから、別の言い方を考えなければならない。また、「嫌になったから逃げた」とは書けない。「逃げた」を説明するのにその言葉は使えない。実際生徒たちの書いた答えを読むと、まあなんとか書けてはいても以上の点での不完全さに陥る。また逃げる時点で既に追われているわけでもない。だからたとえば、「逃げる」を「その場から離れる」と言い換えることができないと解答が書けない。「自分の意志で」はどうしようか。これは「自ら進んで」と言い換えることができるがそうなかなか思いつくことができるわけではない。一人一人の解答を呼んでコメントし何回か書き直しさせる。設問文の読み取りが弱いものは、理由を聞かれているのではないのに、癖で文末を「から」にしてしまったりする。こうしてたとえば、

<「逃げる」というのは、嫌になったからその場を離れるという意味、「柵を破った」は、自分から進んで外へ出ようとしたという意味の違い。>

という解答ができあがるが、これでもどうも「嫌になったから自分から進んで逃げたんじゃあないの」と反論されるからまずい。そこで、さらに抽象化を行う。「嫌になったから逃げる」とは、とどのつまり、「自ら進んで柵を破る」とどう違うのか。さんざん問いかけると、本日飛び入り参加の笑羽バカ太郎先生が、「積極的」という言葉を思いつく。ではその反対語は何かと問うと、「消極的」と答える。「逃げる」が消極的で、「柵を破る」が積極的とすれば答えが書けるのではないか、と示唆すると、

<「逃げる」は、嫌になったからその場から離れるという消極的な意味であるのに対して、「柵を破る」は自ら進んで外へ出ようとすると言う積極的な意味の違い。>

という解答を得るが、これはなかなか普通の子どもには大変である。

しかしこの授業に参加している子のほとんどは、V-net作文コースの出身なので、とにかくペンを取って何か書こうとするので頼もしい。とにかく書こうとする意志があるから授業が成立していると言える。

音読で日本語のリズムを体得し、自由作文で文を書くことが苦痛でなくなって、その上で国語記述解答の訓練ができる。それでも、生徒全員の答えを添削しつつ授業を進めるのは大変である。完全に指導できているとは言いがたい。世間一般の塾で国語の授業がまず成立するわけがないことが分る。正直私もギリギリのところでやっている感触である。個人の直接指導なら可能だが、それだと他のものとの切磋琢磨がなくて活性化エネルギーが不足する。どうするか迷うところである。

とりあえず音読は終了した。予定では9月以降、個人の直接授業に戻ることになっているが、どういう形を取るべきなのか、新しい発想が必要なようだ。

晴れて来た。これからハバネラの収穫をしてV-netに出る。8月に入って完全な休日が一日もない。新学期になったら先生は焚火に行くぞ!


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