リベラルアーツは、岩波ジュニア新書で読み進めているが、やっぱり、その紹介的な文体がいまいちと感ぜざるを得ない。かといってアポロドーロス(岩波文庫)でもどこか舌足らずな印象を禁じ得ないから困る。でも、既に、神話にはその語られる状況、つまり、ディオニソス的状態が欠かせないから、物語以上に適当なことを盛り込むことが可能であると判断できる。
面白いことは結果であって、そもそもそれが印象に残る面白い話だったかは、その時の状況状態語り口による。だから、神話においては、各聖書以上に個人のイマジネーションに依存することが客観化される。
この認識を生徒と共有したいが、それはなかなか難しいことだと思う。
「覚醒した認識の傍観者」とは良く言った言葉で、気がつけば人は皆ボーッとしてしまう。餌の安定供給に甘んずる「家畜」になってしまう。ここであくまでも自己の内部に主体となるものを認識することが肝要であるが、それは瞑想的な状態を知らない者にはほぼ不可能なことであろう。
私たちの脳は快感を感じる。それは背骨の延長線でのことだ。
脳は、脊椎の延長線上にはみ出した神経組織である。
快感を実感しようとする時、私たちは背骨を伸ばす。
それは、快感が背骨の延長線上の脳内で発生する仕組みだからである。
瞑想とは、この快感の主体的追求に他ならない。
背筋を伸ばし、快感物質を脳に送り、それをさらに視床下部を経て大脳前頭葉に集中させる。
私たちは、脊椎の延長線上の脳に、下から快感物質を送り込んで、視床下部を刺激し、「目醒め」を得ようとする。いわば、意識的な「欠伸」とその先に見えるもの、そしてその「結果」が瞑想の目的である。
アタマが良くなるためには、この瞑想的な体験と情報が欠かせないことだろう。
次回リベラルアーツは17日であるが、ギリシア神話を粛々と読み進める予定。参加希望者は岩波文庫版(アポロドーロス版も用意されたい。